空手の型「平安」の歴史
空手の型「平安」の成り立ち
体育的な要素が強かった「平安」
本部朝基先生が晩年の糸洲先生に問いただしたところ、「その頃とは型は多少違つて居るが、今では学生のやつたあの通りの型に決定して居る。名称もみなが平安(ピンアン)がよいといふから、若い者達の意見通りにそうしたのだ」と答えたという。
糸洲安恒先生の初期弟子の一人である本部朝基先生によれば、もともと「ピンアン」は「チャンナン」と呼ばれて挙動も少し違っていた
ピンアンは五段からなり、動作は主に公相君(クーサンクー)など旧来の型から借用して構成
沖縄県の学校体育に採用され、爆発的に広まり、首里手系各流派・本州空手の基本型となった
本部流の『白熊』の型はピンアンに似ていることから、ピンアンの原型・チャンナンではないかと推測する研究者が多い
沖縄唐手・師範学校の先生たちは「平安」に興味なし
旧来の弟子からは、体育目的を強調したピンアンは不評
師範学校では、ナイハンチが稽古の主体で、ピンアンはあまり指導されない