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空手家が考える「弱者の居場所がない社会~貧困・格差と社会的包摂」



貧困問題は、社会の中での人と人の信頼関係の低下と相関し、この結果、社会格差が広がっています。その通りです。


知らず知らずに、気づいたら、社会的に弱い立場になってしまい、排除や摩擦、孤独や孤立になっている人が増加していることもその通りです。その結果、このような人たちは、「社会的排除」として、人と人との関係、人と社会との関係から追い出されてしまい、そこから抜け出せない人も増えてきています。私は、もし、そのような人たちが、常に、いろいろな人に相談できる環境があれば、人生や決断の選択のとき、違った判断をしていたのではないでしょうか。


著書は、社会的包摂(しゃかいてきほうせつ:ソーシャル・インクルージョン(英: social inclusion))が必要だということを切実に説いています。これは、社会的に弱い立場にある人を援護し、社会(地域社会)の一員として取り込み、支え合う考え方です。


私は、社会的包摂の活動に参加したことがあります。ただ、そこに関わる人たちの多くは、社会的に弱い立場に追いやられ、傷をもった人が多いことに気づきました。言い方はよくないですが、支援する側スタッフの優越感を強く感じました。無論、だからこそ、弱者の気持ちに寄り添えるという部分がありますが、社会的包摂のなかで、見えない階級をつくるのは違うと思いました。


私は、本来は、何か成功をしている人が、自分の経験を活かし、それを、社会的包摂にすることが必要だと考えてます。学びや発展があります。この差は分かりますか?ただ、成功者は、自分ができることがあたり前だと思い、見えないプレシャーを生み出すという悪循環を生みだす可能性があります。


そこで、一刻の休息の場としての、社会的包摂の活動で、自分を取り戻せる場、そして、段階的に、人との関わり方から学ぶ、成長、目標を持ち、チャレンジができる場として、上記が混在したほうが良いと感じました。


社会的弱者になりがちな人は、表現力や発想力が乏しく、凝り固まった人が多いと感じます。もっと人とぶつかり合い、学ぶ姿勢が必要です。おすすめは、空手道やキックボクシングは、心技体のぶつかり合いです。議論と学びがあり、礼儀、格闘技術を学ぶことからの自信、そこから、自分らしさを表現でき、人との関係づくりから社会的な活動を変えることができます。その結果、師匠や仲間をつくり、いろいろなことを議論でき、一生の仲間を作ることができます。このような場が増え、人との関わり方が変われば、社会は変わるのではないでしょうか。


学校教育や地域社会で行える社会的包摂は、日本という社会的な構造上、人との関わり方は、可もなく不可もない、情熱はほどほど、偏った考え方を嫌います。その結果、子どもたちは、ぶつかり合わない大人に呆れ、馬鹿にしています。大人社会同様、子どもたちの社会も、自分たちが傷をつかない、いやなことは後回しにする習慣は、本来あるべき、コミュニケーション能力を低下させています。そして、私は、日本人の民度をあげるには「サムライ魂」を闘魂する必要性があるとも感じてました。

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