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執筆者の写真YOSHIN-KAN

『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』

更新日:2022年8月19日


自己啓発の父と呼ばれる世界屈指の心理学者アルフレッド・アドラーが提唱するアドラー心理学をもとに、嫌われる勇気から生まれる幸福に生きるための考え方です。

人間の悩みのほとんどは、すべて人間関係からくるものです。その悩みから抜け出すためには、人間の本性、人間関係の本質から生じる劣等感が消えないものにどう向き合うか、頭にこびりついている承認欲求を捨てること、ここから悩みを解決できる1つです。


1つ目の衝撃ポイント「原因論」vs「目的論」で生きる

多くの人は、何か原因があり、その行動をすると考えます。違います、人の行動が原因ではなく、目的があるから行動をしていていると言います。


例えば、親が子どもに対して、怒っているとします。その理由は、悪いことをしたから、親は怒っていると考えています。例えば、先生が子どもに対して、怒っているとします。その理由は、悪いことをしたから、親は怒っていると考えています。例えば、上司が部下に対して、怒っているとします。その理由は、仕事のミスをしたから、親は怒っていると考えています。

これらの回答は、原因論にあたり、目的を見直してみます。以下に目的論に変えてみましょう。


例えば、親が子どもに対して、怒っているとします。親が怒っているのは、イライラしているなかでちょっとした八つ当たりで怒っていると考えます。例えば、先生が子どもに対して、怒っているとします。先生は、怖い先生だと相手に見せつけるために怒っていると考えます。例えば、上司が部下に対して、怒っているとします。通常、上司は、上下関係を見せつけるために怒っていると考えます。


行動は、原因ではなく、目的から考えるとアドラー心理学では捉えます。この目的論という考え方は、かなり衝撃かつ不思議な感じがするかもしれません。

同じようなミスに対して、ものすごい剣幕で怒る人もいれば、冷静に注意して終わりという人もいます。冷静に論理的に話しても理解されないと思うと、声のボリュームを上げて、相手を威嚇して丸め込んでしまおうとするパターンがあります。ずるい目的が心のどっかにあったりする光景はよくあります。


ここからも分かるように人というのは原因ではなく目的が行動を決めています。


そこで、アドラーの目的論から我々は何を学べばいいのかというと、原因とか暗い過去に縛られてはいけないことへとつながっていきます。

例えば、昔、親から、習い事をしたいとお願いしたら、拒否されました。だから、他人にやりたいことを言わなくなったんです。

例えば、昔、先生からお前はサッカーが向いていないと言われ、だからサッカーはやらないんです。例えば、両親が離婚してるからきっと幸せな結婚なんてできないんだとか言う人がいます。例えば、昔から一人っ子で暗い性格だったとして、だから今後一生、人と楽しくコミュニケーションをとることなんてできないんだなんて嘆く人がいます。


これらは、アドラーが否定する原因論に縛られている考え方です。原因論とは、暗い過去に縛られることで、過去のことを言い訳にしようとします。

それを目的に変えることで、人は変わります。


例えば、昔、親から、習い事をしたいとお願いしたら、拒否されました。だから、他人にやりたいことを言わなくなったんです。いいえ、やりたいこと(目的)をやればいいだけの話です。


例えば、昔、先生からお前はサッカーが向いていないと言われ、だからサッカーはやらないんです。いいえ、サッカーをやりたい、うまくなりたいなら、練習をしてうまくなればいいだけの話です。


例えば、両親が離婚してるからきっと幸せな結婚なんてできないんだとか言う人がいます。いいえ、結婚生活において、パートナーを大事にすればいいだけの話です。


例えば、昔から一人っ子で暗い性格だったとして、だから今後一生、人と楽しくコミュニケーションをとることなんてできないんだなんて嘆く人がいます。

いいえ、自分に合う場を探すなり、良き仲間を見つけて、楽しくコミュニケーションすればいいだけの話です。

やるべきことはシンプルで、今この瞬間から相手に笑顔で話しかければそれだけでいいだけです。


アドラーに言わせれば原因とか過去のせいにするな!そして、場合によっては相手に嫌われちゃう可能性だってあります。

今を生きるということはアドラーのいう原因論ではなく目的なので生きろ!と言いたい。楽しい人生にする極意です。

2つ目の衝撃ポイントは「課題の分離」

これも楽しく自分らしくハッピーに生きるためには重要です。自分がコントロールできることだけは一生懸命やって、自分でコントロールできないことは考えるなということです。つまり、自分の課題と他人の課題を分離して考えるべきだと 本書の中で出てくるたとえ話に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という分離のエッセンスがありました。馬に水を飲ませたいと思った時に馬を水辺に連れて行くことは自分の課題としてできることですが、馬が水を飲むかどうかこれは馬の課題です。つまり、馬の課題は他人の課題であって自分にはコントロールできない課題なのでそんなもう気にしないことだと言います。 いつも悩みが絶えない暗い顔してる人っていうのは、自分の課題、他人の課題すべての課題を抱え込んでいるということです。 道場のお母さんと話をしていると、勉強をするという課題は、子どもの課題ですが、子どものサポートではなく、親の課題になっているということです。最後は、子ども次第ということです。学校や道場で何かを成し遂げるためにチームを作ったとします。みんなの課題ですが、コントロールできない人もでてきます。その人たちを無理にまとめて、同じ気持ち、同じチーム、つまり、自分の課題のために、他人を変えてまでがんばろうとすると疲れます。 アドラーのいう課題の分離を理解してる人は、頑張って解決しません。自分の課題だけに全力を出してこれは自分じゃコントロールできない自分の課題じゃないなってものは思い切ってシカトするんです。 例えば、学校の先生は、一生懸命頑張ってるんだけども、通信簿をみたら、全然自分のことを評価してくれないとします。例えば、友達に評価してほしいから、おちゃらけて、みんなを立てようとします。でも、本当の親友ではないと感じています。例えば、会社の仕事をがんばりながら、上司に認めてほしいという気持ちがあります。しかし、上司が自分のことを評価してくれないとします。 どうやったら自分のことを評価してくれるんだって悩む人に言います。 残念ながら課題の分離がまったくできてない人の例です. このケースで正しく課題を分離すると、「頑張って実績を残す行動の跡形を残すこと」は、自分の課題です。 しかし、他人は自分でコントロールできるものじゃありません。 他人がどう評価するかを考えることは疲れるだけです。やるべきなのは、目的に向かって、努力をすること、ただやり切るだけです。 無論、他人に努力、誠意、結果を評価されることは、生きる上で、重要なことです。チャンスは他人がくれることが多いです。しかし、あまりにも、目的達成のためには、他人の評価に引っ張られると、他人が自分をどう評価してくれるかが目的となります。そして、他人を自分の思い通りに変えようと思うのはまさしく他人の課題に首を突っ込んでいることになります。絶対やめましょう。 そこで、責任感が強い人、何かみんなで解決しようと思っている人がいれば、「自分の課題と他人の課題を分離」で心が軽くなる人は多いと思います。 この課題の分離っていうのは、言い換えると、「承認欲求を捨てること」を説いています。油断したらそう不承認欲求の奴隷になりがちであることを、アドラーは危機を感じています。人の行動は「承認欲求」から生まれていくことが多いということです。 道場生の中学受験をする子は、「将来の夢は医者」っていう子が多いです。知名度のある大学に行きたがっています。医者が一流大学に進学するのは、承認欲求が大きいからです。 インターンで来た一流大学生と一流大学院生は、大企業に就職します。だれもが知る有名企業を選択し、これも承認欲求が大きいからです。 この感覚のままだと、大企業に入って社会人になっても誰かに怒られないようにそして誰かに褒められるために仕事するみたいなことを目的にすると、悲惨な人生が待っています。本質を外しているわけですから、物事の本質をとらえている社会人から嫌われます。 そして、誰かに認めてもらうっていう課題の分離でいえば、自分の課題ではなく、他人の課題をゴールにしていることは、アドラー的に絶対やってはいけないパターンです。 特に、日本はこの承認欲求を刺激して、頑張らせる仕組みになっています。資格をとることが大好きな人が多いのは、何かを達成させる目的ではなく、承認欲求の要素が強いからです。 そのことが、世界競争で日本が負けている理由の1つだと考えます。目的の達成ではなく、承認欲求は受け身、かつ、物事達成までのノイズになっています。 承認欲求の奴隷になって、他人の課題にばかり注力してもダメです。自分でコントロールできる自分の課題に注力すべきだということです。

3つ目の衝撃ポイント「縦の関係を作ってはいけない」

どんな相手に対しても常に上下関係を作るなど、すべての人間の立場が同じではないのですが、対等な存在なんだとアドラーは言っています。

上下関係をつくらないための具体的な行動として、本書には「人を褒めるな!」ということが書かれています。褒めて伸ばせ、人を育ていると言いますが、全面的に否定しています。


アドラーは、褒めるという行為は、自然と上下の関係を生み出すからだといいます。褒める側と褒められる側って実は上下関係になると言うことです。

それで上下関係を生み出すこと、承認欲求がつながってきます。このことが、承認欲求の奴隷の量産へとつながっていると言います。


空手道場の有級・有段を決める審査、会社の人事制度など、道場主や経営者の目線で言えば正しい戦略だと思います。


アドラーは、褒めるんじゃなくて「ありがとう」って感謝をすることで、上下関係を生み出さない健全な方法を説いています。

学校教育とかで承認欲求が頭にこびりついちゃってるのでどうしても人から褒められるように競争し続ける人生を選択しがちですが、結局はどれだけ誰かに貢献して感謝されるかかもしれません。


絶対感謝されようって思わないこと、自分が何かをやってあげて相手が感謝するかどうかは、承認欲求でないことが重要です。感謝することは、相手の課題です。

相手の為になったはずだとそうて自己満足しちゃうことが大事なのかなと自己満で結構実られがちですけど実は自己満こそが最高のモチベーションだと感じます。


あくまで自分がハッピーになる手段の一つとして使うのがおすすめということです。

 

「嫌われる勇気」ですが、アドラーの著書ではなく、アドラー心理学に基づいて日本人カウンセラーの方が書いた本です。そして、日本人カウンセラーの方は、専門が元々は哲学をやっていたこと、そして、哲学とアドラー心理学をうまくブレンドして伝えてくれていることが分かりやすくしています。


心理学の三大巨匠といえば、フロイト、ユング、アドラーの3人です。

・ フロイトは、人間の行動にはすべて心理的な裏付けがあり、それは「無意識」だとしました。人の発言・行動の多くは、意識的でも、無意識の影響が大きいというものです。このフロイトの無意識の学説は、現在のカウンセリング技法に広く浸透しています。

・ ユングは、フロイトと師弟関係にあり、フロイトの一部の学説に疑問を感じるようになっていきます。現代カウンセリングで頻繁に用いられている「タイプ論」はユングの学説です。ユングは人間を「内向」と「外向」の2つのタイプに分類しました。さらに、人間の心を4つのタイプに分類しました。「思考」「感情」「感覚」「直観」です。

・ アドラーは、「人は行動の理由を過去に求める」ことを説いています。

 

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