プロ空手、マーシャルアーツとして発足した「勇気道」、プロキックボクシング予備軍として「新空手」、その後に、グローブ空手の試合が普及
揚心館の前進「野崎会館」は 、勇気連盟の加盟道場でした。ベニー・ユキーデ氏を柱とした連盟でしたが、勇気連盟が主催する試合では、ベニー・ユキーデ氏を見たことはなかったです。新空手の名づけ親は、治政館・長江館長です。キックボクシングが低迷時代、極真空手が一番盛り上げっていた時代に、「新空手」と名付けました。「極真空手がやっていることは、キックボクシングと技術の顔ないでしょ。道着を着てキックボクシング、力がついてきたら、プロとしてデビューさせればいい」と言われていました。新空手で多くの強い選手はでてきましたが、道着を脱いでキックボクシングに転身するのがいやな選手もいましたが、新空手ファイターからプロキックボクサーとしてでてきたのも事実です。
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