多摩地区は、潜在的なサムライ魂を培える地域!多摩の風土から自分を高められることを多くの人に知ってほしい!
武士
武士とは、土地を守るために発生した武装集団です。自分の生まれた土地や地域を愛し、誇りにもてることは、「サムライ魂の基本を持った」と言えます。海外では、「SAMURAI」「武士道」は、神秘としてとらえられています。日本人らしさの尊重である「SAMURAI」「武士道」を語る上で、自分の生まれた土地や地域を語れることは、自分らしさ、土地の誇りでもあります。
高度経済成長で発展してきた多摩地区の残念な部分
戦後の高度経済成長により、多摩地域は「多摩ニュータウン」として新しい地域社会が開拓され、地方出身者が東京で働くなかベッドタウンとして発展してきました。山や川、畑や田んぼを崩し、新しいコミュニティが確立しました。大学時代、全国から集まる友達は、自分の生まれた土地が好きで、卒業をしたら、自分の生まれた地域で仕事を探し、就職する友達が多かったです。一方、東京、特に、「多摩ニュータウン」のように歴史が浅い地域は、地域愛をもった人は少ないと感じます。多くの友達は「多摩ニュータウン」ではなく、新しく開拓された地域で新しい家族とともに住んでいる人が多いです。このことは、個人的には残念です。
サムライの風土を持った「多摩地区」に誇りを
全国のなかには、誇りに思える歴史がない地域が多いです。ただ、多摩地区には「八王子千人同心」の歴史があります。簡単に言えば、武田信玄配下の甲州武士が、徳川家康配下の旗本待遇として武士集団「八王子千人同心」として多摩地区に配置されました。江戸時代、徳川将軍家の武士集団として、御家人と旗本がいました。旗本は将軍への拝見が許され、御家人は将軍に直接拝見は許されず、大目付となります。「八王子千人同心」は、普段は農業で生計をなしているのにも関わらず、旗本待遇のサムライのポジションです。徳川将軍家からの特別な身分を許されてきた武士が住んでいた地域です。そして、多摩地区から「八王子千人同心」を含む武士が「新選組」として結成され、幕末に活躍をしました。多摩の風土には、武士の歴史があるんです。
揚心館
多摩地区で発生をした流派として、天然理心流の剣術が有名です。揚心館は、歴史が浅いですが、多摩地域で発生した総合武道です。多摩風土は、武士の魂スポットです。そして、多摩地区に道場を構えています。
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